伏見でフリーペーパーを模索5 〜情報を扱う〜

また、フリーペーパーの話題に戻ります。
前回は、WEBに負けないように、紙媒体ならではの特徴を生かそうと思ったが、
やっぱ正攻法で行こうと考え直したところです。

本日の「京都新聞夕刊」の「現代のことば」というコーナーに、
ヒントになるような記事があった。
「死にゆく情報誌」というタイトルで、江弘毅氏が執筆。


「東京1週間」や「関西1週間」などの「情報誌」が休刊することになる。
今までは、消費社会に情報を提供し、消費者である読者にフィットしていた。
情報が多く、早くなっていき、どんどん記号化や数値化されるようになった。
ITが発達し、それらの情報は大量に高速に伝達されるようになった。
しかし、「おいしい」や「たのしい」というものは、データや記号に置き換えられず、
情報化されにくいものである。
それらをどう記述し表現しうるかの仕事こそが、元来取材や編集そのものであったはずだ。
大量な「消費情報を扱う」ことと、未だ「情報」になっていないナマものを「情報化する」ことは違う。
(僕が要約しています。著者の意図が伝わってなかったら申し訳ないです。)


この記事を読んで、まず思ったのが、
フリーペーパーってのは、「情報」を扱うんやなぁって再認識。
んで、地域に特化したまちの情報ってのは、意外に出回ってないんやなってこと。
そして、江氏が言うように、「おいしい」や「たのしい」というのは情報化しにくい。
「たのしい」を情報化しにくいのは、コントラダンスの楽しさを人に伝えられないことで痛感しています。


正攻法でいくということは、
伏見のまちに眠っている情報を発掘するか、
まだ情報になっていないものを情報化する、ということやね。
そう考えると、「取材」ってのが本当に面白そうに思えてくる。
情報を転記しただけのものは、排除する必要があるかもね。
そうなると、フリーペーパー自体が、表現で、アートやね。

んで、情報になってない面白いもんを、伏見で探しまくらなあかんやん。
まぁ、そもそもそれが面白そうやねんけどなぁ。


江弘毅氏が総監督を務める会社140BのWEB
http://www.140b.jp/index.php