理解して欲しいのに言えないのはなぜ?

人なら誰しも、誰かに自分のことを知ってもらいたいと思っていて、
そして、理解してもらえないとすごく寂しくなる。
よね、みんなそうやよね。
僕はそう思っているし、寂しい時もよくあるし、たくさんあった。
でも、自分の内面を表現したり、伝えたりすることが、
恥ずかしかったり、怖かったりする。
よね、みんなそうやよね。
例えば、「告白」。好きな人に好きって言えなくて、後悔する。
この世界は一日で「何後悔」生み出されているのだろう。
例えば、人前で歌う。お風呂の中では創作の鼻歌でも躊躇無く歌えるのに、
人前で歌うのは何で恥ずかしいの?
例えば、一発ギャク。
この前飲み会の席で、罰ゲームとして、一発ギャクをやろうということになったが、
いざ、敗者が決まると、それをやるには時間がかかった。
例えば、企画書を人に見せるのも僕はとても恥ずかしい。
今日もそうやった。
それはなぜだろう。
人から理解されたいのに、本心を表現することが恥ずかしいのはなぜ?


恥ずかしさってのは、恥をかくかもしれないという恐怖。
恥をかくってのは、がんばったのに相手に受け入れてもらえなかった状態やね。
相手に受け入れてもらえないことへの恐怖。
それがあるから人は本心を表現しきれない、伝えきれない。
人は、受け入れてもらえる相手かどうか見極めたり、
がんばって、恐怖を乗り越えるぐらい練習して完璧にしてから事にあたったり、
わかってもらえなくてもいいって表現することから逃げたり、
演じたり、嘘ついたりするんやね。


僕は、本心で繋がった人間関係を築きたい。
そして、僕の周りにいる人も、自己表現して、なりたい自分として生きて欲しい。
だから僕は、人から受け入れられなくても、人から認められなくても、
理解してくれる人を信じて、表現しつづけるずぶとさが欲しい。
そして、誰かが発したその表現を、受け入れる理解力、読解力が欲しい。
そうなると、一つの自由が手に入って、ステキな人の和ができそう。
そいう和を作りたい。