祇園祭ボランティアでの学び

2011年7月
14・15・16日と、祇園祭に行った。
ゴミの面倒を見るのボランティアに。


いろいろ学びがあった。


<人に価値は無いって話>
とにかく人が多かった。
人ってこんなにもいるのかっていうほど多かった。
沢山の人を見ていると、ふと、
人の命って思ってたほどの価値は無いかもって思った。


目の前にいる人がいくら死んだとしても、世の中は回っていってしまうし、
社会という枠で見ても、自然という枠で見ても、人一人の価値なんて無い。
で、それは事実。
歴史上の偉人も、偉大なアーティストも、さほどの価値は無い。
誰かが勝手に偉大だと思い込んで、
みんなが思い込まされているだけ。


本当は価値の無いものを、価値があると思い込むのって、
なんだか馬鹿みたいで、すごく寂しい。
ゴミを溜め込む人みたい。

でも、価値があると思い込むところが、一番人間らしいところだと思う。
沢山の人がいるのかで、誰か一人の人を好きになるなんて、
現実的には不必要だし、おかしい。
でも、そこが人間らしい。


人間を人間らしくしているのは、
価値の無いものを価値があると思い込むことだと思った。


価値のある人間になろうと努力するのは馬鹿らしいとも思うし、
人間らしく、思い込みの価値を追いかけてもいいとも思う。



<正義感って使えないと思った話>
このボランティア活動を最初にやったときは、正義感があった。
でも今は無い、楽しいからやっている。


正義感があったときは、ゴミを路上に捨てる人を憎んだ。
正義感は刃みたいに、強そうだけど切りつける相手を探すものみたい。
悪が必要になってくる。
そして、正義感は折れる。
沢山のゴミの前ではあまりにも無力だったから。


今は違う、
ゴミ拾いがとても楽しい。
すごく楽しい。
楽しんでやっているから、折れない。
いつまでも続けられる。


だから、社会を変えるのは正義感じゃなくて、
もっと別のものなのじゃないかと思った。