怒りをぶつける人、我慢する人

すぐに怒りをぶつける人と、
ぐっと我慢する人がいるよね、


どっちが得なんでしょうね?


今日、バイクに乗っていた。
僕の運転が気に入らなかったのか、トラックの運転手がこっちに向かって、なんか怒ってる。
なんか言いもって、怒ったまま、走り去った。
トラックは直進、僕は右折、
何を言っているのかは聞き取れなかった。
交通状況のせいで、トラックの前に車線変更せざるをえなかったあれを怒ってたのかなぁ?


そして、僕は考えた、
トラックの運転手はすぐに怒りをぶつけてきたけど、
ぐっと我慢する人もいるよね、
どっちが得なのかなぁって、


我慢はストレスになるから、その都度発散した方がいいよねぇ、
でも、周りに怒り散らす人の近くからは人が遠ざかっていくから、対人関係では損だ。
一長一短だ。
状況に応じて、うまく使い分ける人もいるかもね。
また、状況によっては我慢の効かない場合もある。
不幸に生きてる人は、我慢が出来ない。


聖人的な人間を目指すなら、憤ることがあっても、悲しいことがあっても、
平静を保ちなさい、気持ちは自分でコントロールできるのだ。それが幸せだ。
なんて、思うべきなのかもしんないけど、
そんなの目指してない。


怒りも、悲しみも、楽しいのも、いろいろ味わいながら生きて行きたい
泣きながら、笑いながら、眉間にしわを寄せながら生きて行きたいと考えてます。


怒りをぶつけるのは子どもっぽいし、問題があれば冷静に指摘したい。
我慢するのもストレスがかかって、耐えられない。


だから、僕にとってベストなのは、
怒ることがあったら、その場ですぐに解消せずに、クリエイティブなものに変換してアウトプットしたい。
悲しいことも、クリエイティブなアウトプットに変えたい。
たとえば、詩をかくとか、絵を描くとか、踊るとかに感情が込められたらいいのにって思います。
文章を書くのもその一つかもね。
グワーッと、感情がこもった表現が出来たらいいなって思います。


たとえば、子どもと鬼ごっこをするときも、社会における理不尽さに対する怒りを、
鬼となって表現したら、
子どもは、怖がりながら、楽しく逃げてくれるんやろうなぁ。


wishigrow